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カナダ横断旅行2000
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02/03/05
●RCMP(カナダ王室騎馬警察)博物館 ●サスカチュワンで見たカナダ1汚いものとは‥‥?

02/02/19
●ワスカナ・センター

02/02/05
●サスカチュワンでの国歌斉唱

02/01/28
●筆者、RCMP(カナダ王室騎馬警察)に囲まれる!?

01/09/24
●サスカトゥーンからレジャイナへの強行軍

01/09/03
●イエローヘッド・ハイウェイでサスカトゥーンへ

01/08/27
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01/08/20
●エドモントンかけ足市内観光 ●ウエスト・エドモントン・モール

01/08/06
●エドモントンでは朝から…

01/07/23
●エドモントン到着

01/07/16
●バッドランドと恐竜博物館 ●どこまでも一直線の道

01/07/09
●カルガリー観光

01/07/02
●スリー・シスターズ ●ロッキー山脈から大平原へ

01/06/25
●バンフでのアクティビティ

01/06/18
●バンフ観光

01/06/11
●バンフのB&B

01/06/04
●バンフの山火事

01/05/28
●クロウフット氷河とボウ・レイク ●ペイトー・レイク

01/05/21
●モレーン・レイク ●レイク・ルイーズのゴンドラ

01/05/14
●カナディアン・ロッキーとスイスの関係

01/05/07
●レイク・ルイーズ発見の歴史

01/04/23
●レイク・ルイーズ

01/04/16
●ヨーホー国立公園

01/04/09
●BC州のロッジに泊まる

01/03/19
●ペードラ歴10ン年の私、ロッキーを運転す

01/03/12
●氷河後退の記録

01/03/05
●スノーコーチ・ツアー(2)

01/02/26
●スノーコーチ・ツアー(1)

01/02/19
●コロンビア大氷原とアサバスカ氷河

01/02/12
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01/01/29
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01/01/22
●野性動物 
●ジャスパーにさよなら

01/01/15
●マリーン・レイク

01/01/08
●盛り沢山の日、スタート
●消える湖

00/12/11
●アコモデーション
●おすすめのHome Accommodation ジャスパー編

00/12/04
●パトリシア・レイクとピラミッド・レイク
●プライム・リブ

00/11/27
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00/11/20
●レンタカーに手間取る

00/11/06
●とんでもない話

00/10/30
●ジャスパー到着

00/10/23
●VIAの旅

00/10/16
●VIAに乗り込む

00/10/09
●計画変更、二転三転 ●2000年6月4日 いよいよ出発

00/10/02
●カナダ横断計画 origin





●カナディアン・ロッキーとスイスの関係

シャトー・レイク・ルイーズの前、湖畔の遊歩道に近いあたりに、その小さな銅像は立っていた。
近くに行って見ると、台座となる大きな石の上に、小さいが一人の人間の全身像が建てられている。その人物は、ニッカボッカをはいたクラシックな登山スタイルで、リュックを背負い、杖をついて、足を一歩踏み出した格好で、顔はまるで高い山の頂上を仰ぐように空を向いていた。

台座の石には、英語とフランス語でこう刻まれたプレートが埋め込まれていた。

  Canadian Pacific Railway
  Swiss Guides Centennial
       1999

スイス・ガイド100年記念とある。
Canadian Pacific Railway(以下CPR)がカナディアン・ロッキーを観光地として開発する時に、1899年から50年に渡って、多くのスイス人ガイドを雇い入れたのである。

私が持っているカナディアン・ロッキーの歴史写真集を見ると、スイス・ガイドたちは、この銅像に見られるように、ニッカボッカに登山靴で、ちゃんと襟付きのジャケットを着込み、中にはセーターやベストの襟元からネクタイが見えている人もいる。けっこうきちんとした格好をしていたのだ。そして、口にはパイプ、手にはアルペンストック、肩にザイルの束をかけ、fedoraと呼ばれる帽子をかぶるのが、彼らの粋な定番スタイルだったと書いてある。本当にどのガイドもパイプをくわえており、髭をはやしている人が多い。

このスイス・ガイドたちは、大陸横断鉄道が開通し、CPR経営のバンフ・スプリングス・ホテル(1888年開業)とシャレー・レイク・ルイーズ(同1890年。当時はまだログ・キャビン1軒だけで“シャレー”と呼ばれていた)が相次いでオープンした後のカナディアン・ロッキーに、多くの観光客を呼び寄せることに多大な貢献をし、世界に名だたる山岳リゾートとしてバンフの町が発展していく礎を築いたのである。
最初の頃は、シーズン・オフには帰国していたが、やがてずっとロッキーに住むようになってしまい、この地に骨を埋めたスイス人も少なくないそうだ。

プレートに刻まれた文章を読んでつくづく関心。今まで、ロッキーの開拓初期にスイス人ガイドがいたことは知っていたが、こんなにたくさん雇われ、このように当地の発展そのものに貢献していたとは知らなかった。
それでヨーデルおじさんがいたのだ。そういえば、ホテルの従業員たちの制服(特にドア・ボーイ)もアルペンちっくであることを思い出した。

この銅像のほかにも、シャトー・レイク・ルイーズ内には、カナディアン・ロッキー開拓の歴史を示すモノクロ写真の額が、至る所に飾られていた。これらも今回初めて目にしたので、きっと1999年にスイス・ガイド100周年を記念して、飾られるようになったのだろう。
売店には、「Swiss Guides 1899 - 1999」という文字と、ザイルを使って登山する2人の人物のシルエットが刻まれた、しぶい銅色のバッジが売られていた。シュテファンはさっそく購入してリュックに付ける。意外なところで、スイスとカナディアン・ロッキーの関係を知り、私たちはなんだかうれしい気分になっていた。

<参考文献>“The Canadian Rockies: A History in Photographs” Graeme Pole著(Altitude刊)