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●リック・ハンセン(最終回)

リック・ハンセンが、地球一周分の距離である40163.79kmの車椅子の旅「マン・イン・モーション」を終えて、スタート地点であるバンクーバーのオークリッジ・ショッピング・センターにゴールしたのは、1987年5月22日。出発から2年2カ月後のことだった。翌23日には、BCプレイスで彼の帰還を祝うイベントが盛大に行なわれ、約5万人の人々が集まった。

「マン・イン・モーション」で彼が訪れた国は34カ国、4大陸にわたった。その中には灼熱の砂漠もあれば、雪に閉ざされた厳寒の地もあった。それらの土地で、車椅子でひたすら走り続けるハンセンを見た人たちは、人間の精神力が持つ底知れない可能性を思い起こさせられた。特に障害を持つ人々に彼が与えた勇気は、計り知れなかった。

このツアーに寄せられた寄付金は2400万ドルにものぼった。このうち脊髄損傷のリハビリや研究費などを除いた2000万ドルで、Man in Motion Legacy Fund が設立された。
また、彼は数々の名誉ある賞も受賞した。

彼が日本に来た時のことを、私は何故かよく覚えている。テレビのニュースで「リック・ハンセンというカナダの青年が、脊髄損傷研究のための基金を募りながら車椅子で世界一周を試みており、その途中で日本にも立ち寄った」というような内容を伝えていたのだ。そこには、車椅子でただ前だけを見てひた向きに走っている青年の姿が映されていた。「車椅子」という言葉と「世界一周」という言葉が、強く心に響いた。そして「リック・ハンセン」という名前も記憶のどこかに留まった。

2度目に彼の名前を耳にしたのは、カナダに来てからだった。英語学校の授業で、彼のことを取り上げたのだった。クラスメートのほとんどがリック・ハンセンのことを知らなかったが、私は「あぁ、あの人!」と思った。配られたプリントには、マンガのようなコマ割りのイラストで、彼の半生が紹介されていた。そこで私は初めて、彼が下半身付随になった原因と、あの世界一周ツアーまでの経緯を知ることとなったのだ。

ハンセンはその後、障害を持つ学生のために、高校以降の教育を促進させることに尽力した。そして1997年、ブリティッシュ・コロンビア大学内に、リック・ハンセン・インスティテュートを設立した。その理想は、障害者が彼らの最大限の可能性に近づける世界をつくること、だった。
このインスティテュートで、ハンセンとそのスタッフは、脊髄損傷による麻痺の治療法を研究している。今後は他州にも活動の場を広げていく予定だ。

ハンセンは、1983年ロサンゼルス・オリンピックに向けてのトレーニング中の事故でケガをした時に知り合った理学療法家のアマンダさんと、その後、結婚。現在は3人の娘とともに、バンクーバーの南に隣接するリッチモンドに住んでいる。
バンクーバーのダウンタウンにあるジェネラル・モーターズ・プレイスの脇には、車椅子で激走するリック・ハンセンの像が建てられている。

参考文献:「The Greater Vancouver book」