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バリアフリー都市・バンクーバー
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01/09/25
●テリー・フォックス・ラン

01/09/04
●モルソン・インディ・カーレースの車椅子シート

01/08/28
●第21回「テリー・フォックス・ラン」---日本にも開催地あり!

01/08/21
●カナディアン・ロッキーのバリアフリー状況

01/08/07
●世界陸上/視覚障害者100メートル

01/07/24
●2人が成し得たことと、もう1人の人物

01/07/17
●リック・ハンセン(最終回)

01/07/10
●リック・ハンセン(4)

01/07/03
●リック・ハンセン(3)

01/06/26
●リック・ハンセン(2)

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01/06/12
●テリー・フォックス(最終回)

01/06/05
●テリー・フォックス(4)

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01/04/24
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01/04/17
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01/03/20
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01/03/13
●スポーツ観戦(続編)

01/03/06
●スポーツ観戦

01/02/27
●バンクーバー公立図書館

01/02/20
●音楽を奏でる交差点

01/02/13
●歩道とcurb cuts

01/02/06
●トイレ

01/01/30
●ビルの内部

01/01/23
●ビルの入口

01/01/16
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01/01/09
●チューリヒのバリアフリー事情

00/12/12
●スカイトレイン

00/12/05
●HandyDART

00/11/28
●「ひざまずく」バス

00/11/21
●Accessible バス

00/11/07
●交通バリアフリー法

00/10/31
●バリアフリー・シティへの道

00/10/24
●Accessible

00/10/17
●きっかけ(続き)

00/10/10
●きっかけ

00/10/03
●バリアフリー・シティとの出会い





●テリー・フォックス(3)

骨の癌と言われる骨肉腫のために、右足を失ったテリー・フォックスだったが、元来スポーツマンだった彼は、退院後、車椅子のバスケット・ボールに挑戦。
それだけでは終わらなかった・・・。

治療中にテリーが考えていたことは、癌患者のために、なにか彼らを励ますことができないか、ということだった。さらには、癌研究のために、チャリティーによる募金を募ることも考えた。

そして計画をたてたのが、カナダをマラソンで横断することだった。カナダ全州を彼が義足で走ることにより、癌に対する人々の意識を高められ、何より彼自身が直接人々に訴えることができるからだ。
カナダ横断への挑戦は、癌への挑戦でもあり、彼の人生への挑戦だった。
テリーはこの挑戦を「マラソン・オブ・ホープ」と名付けた。

テリーが考えたルートは、東から西への横断だった。カナダ最東のニュー・ファンドランド州をスタートし、フェリーでノバ・スコシア州に渡り、途中プリンス・エドワード島にも立ち寄って、ニュー・ブランズウィック州へ。その後、ケベック州からひたすら西へ。オンタリオ州、マニトバ州、サスカチュワン州、アルバータ州を通って、最後に故郷であるブリティッシュ・コロンビア州に帰って来て、ゴールのテープを切るというプランだった。

プランニングとトレーニングに2年以上を費やし、その間にスポンサーも現われた。そして、いよいよ出発の日が来た。

1980年4月12日。ニュー・ファンドランド州の東端セント・ジョンズで、テリーは義足を大西洋の水に浸した。
そして西を向き、「マラソン・オブ・ホープ」をスタートさせたのだ。