CONTENTS
 

ホーム

国際結婚こう・ふこう

カナダ横断旅行記

バリアフリー都市・バンクーバー

30歳からの海外留学

フォト・ギャラリー

国際結婚の掲示板

CANUCKS FAN



30歳からの海外留学
今までの記事

01/09/26
●真面目な人ほどあぶない

01/09/05
●留学生のメンタルヘルス---私の場合(3)

01/08/29
●留学生のメンタルヘルス---私の場合(2)

01/08/22
●留学生のメンタルヘルス---私の場合(1)

01/08/08
●留学生のメンタルヘルス

01/07/25
●引きこもり

01/07/18
●ロール・モデルを持とう

01/07/11
●健康 --- 人より10年長生きしよう

01/07/04
●料理は身を助く(3)

01/06/27
●占いで決めた出発日

01/06/20
●料理は身を助く(2)

01/06/13
●料理は身を助く(1)

01/06/06
●ホームステイ(5)‥‥料理事件 後編

01/05/30
●ホームステイ(4)‥‥料理事件 前編

01/05/23
●ホームステイ(3)‥‥洗濯機事件<

01/05/16
●ホームステイ(2)

01/05/09
●母の日、父の日、誕生日

01/04/25
●ホームステイ(1)

01/04/18
●常識

01/04/11
●キャリア留学

01/03/21
●留学情報センター

01/03/14
●学校を選ぶ時の参考に

01/03/07
●各ESLの特徴(3)‥‥私立のESL

01/02/28
●各ESLの特徴(2)‥‥州立カレッジ系ESL

01/02/21
●各ESLの特徴(1)‥‥州立大学系ESL

01/02/14
●ESLの違いを知る

01/02/07
●30代ゆえの試練?

01/01/31
●ESLで上級クラスに入るコツ

01/01/24
●ディスカッションのテーマ

01/01/17
●「英語を話す」ではなく「英語で話す」

01/01/10
●私が行った語学学校

00/12/13
●父との最後の時間
●訃報
●家族との関わり

00/12/06
●両親とのカナダ旅行
●父のその後

00/11/29
●大どーんでーん返し!?

00/11/22
●いよいよ決断

00/11/08
●父の経過

00/11/01
●留学の危機

00/10/25
●準備期間

00/10/18
●“背中ポン”の言葉

00/10/11
●30過ぎて一度断念

00/10/04
●私が20代だった頃 ●30代でこそ行くべき!





●ホームステイ(2)

30歳以上だからといって、みんながみんな一人暮しを経験しているわけではないだろうし、家族と同居しているとしても、完全にパラサイトしているわけでもないだろう。ま、適度に自立した生活をしていると仮定して、その経験は、留学時にたいへん役に立つこと、間違いなしだ。

私のホストファミリーには、私を含めて3人の学生がステイしていた。
1人は以前からいたメキシカンの女の子。前にも書いたように、電話は実によく使っていたが、年齢の割に(たしか20歳くらい)おとなびたところがあり、ホームステイをするのに何の問題もなかった。聞くところによると、父親は実業家でかなりのお金持ち、5人兄弟の長女で(だからしっかり者だったのか?)、家にはプールがあり、家事はいっさいメイドがやっているという。それにしては、料理や身の回りのことは、自分でちゃんとできる人だった。

私にいろいろ新たな発見をさせてくれたのは、1週間後に来た台湾の女の子だった。彼女は当時23歳。台湾中部の都市出身で、大学を卒業してすぐ英語の勉強のためにカナダに来た。やはり、家はちょっとお金持ちらしかった。
私と同じESLに行くということで、ホストマザーからも留学アレンジ会社(知り合いの会社で、台湾の子もそこからこのホストファミリーを紹介された)からも、「一緒に通ってあげてね」と頼まれていた。彼女は、海外に来るのはこれが初めてだったのだ。

到着した日、台湾の家族に電話をしているうちに泣き出してしまった彼女を見て、ホストマザーも私もホロリとしてしまい、いくぶん同情的になっていたのだが、一緒に生活するようになって数日たつ頃には、「ん?なんか変…」と思うようになっていた。
・・・なんと言うか、社会的なものがどこか欠落した感じなのだ・・・。

ESLの初日は一緒に行った。学校はホストファミリー宅からバスで1本だが、30分かかったので、朝は早めに出ていた。
2日目の朝、ホストマザーは、自分と娘と学生たちの計5人分のランチバッグを、手際よく作っていた。私は一応彼女を待っていたのだが、なかなかベースメントから上がってこない。彼女の部屋に行くには、メキシカンの子の部屋を通らなければならず、その子は学校が近いのでまだ寝ているのを知っていたから、どうしたものかと考えていた。

その時、玄関横のリビングルームで、その家の娘がテレビを見ていることに気付き、ふと聞いてみた。
「◯◯◯(台湾の子の名前)を見た?」
「うん、さっき出かけたよ」
「は?」

なんと彼女は、もう家を出ていたのであった。
ホストマザーも知らなかったのだ。知っていたらランチを用意するはずがない。娘はずっとテレビを見ていたので、キッチンで何が起きているか知らなかったし、当然、母親には告げて出かけたものと思っていただろう。

私が、彼女はもう出かけたことを話すと、明らかな落胆の色がホストマザーの顔に走った。昨日もランチを持って出ているのだから、ホストマザーが毎日用意してくれていることは、彼女も知っているはずだった。

私はそのランチバッグの1つを取って、バス停に急いだ。別に彼女を追いかけた訳ではない。彼女を待っていたがために、遅刻ぎりぎりの時間になってしまったのだ。

私は無性に腹がたった。なにも小学生のように毎日一緒に行く必要はないが(そんなこと、私もしたくない)、まだ2日目だったし、家にいると思ったから待っててあげたのに…。ご丁寧にも、時差ぼけで寝坊しているんじゃないだろうか?なんて心配してあげたりもしていた。あの状況だったら、誰でも彼女はまだ出かけていないと思うだろう。
それに、前日の夕食の時にも顔を合わせているのだから、もう一人で行く自信がついたのだったら「明日からは一人で行けるから大丈夫」とか何とか言うだろう、ふつう。私だったら言うなあ。

腹がたつ一方で、これでもう彼女には関わらなくてもいいやと思え、ちょっとスッキリした気分だった。実はその前にも、彼女の態度に「おや?」と思うことが何回かあり(この後はもっとあったけど)、少々疲れを感じていたのだ。

私はそうやって割り切ることができるので楽だったけど、そうはできないホストマザーは気の毒だった。ランチだけでなく、初めの頃は、夕食に遅れたり外食する時に連絡しないことがあった。もちろん、わざとやってるわけではないだろうが、そうすることが集団生活の中で食事を作ってくれている人に対する当り前の礼儀である、という感覚がないようなのだ。
後に出会った多くの台湾の友人たちは、この辺の感覚は、みんなごく普通に持ち合わせていたので、やはり彼女の社会経験の少なさから来ていると思わざるを得なかった。

・・・そして、それを痛感させる事件が起こった。

 
★‥‥‥‥‥‥‥‥‥★バンクーバーだより★‥‥‥‥‥‥‥‥‥★

「雅子様ご懐妊」のニュースはこちらでも報道されている。既に最初の非公式発表の時、BCTV(BC州のローカル局)のニュースで報道され、ひどく驚いたのだが、今日はバンクーバーの地元紙「The Province」に記事が出ていて、トップページに、和服姿の雅子様の写真と「Princess Masako is having a baby!」というタイトルが載っていたので、思わず買ってしまった。記事の内容は、日本で報道されていることの英訳といった感じだった。

それにしても、やはり騒ぎ過ぎではないでしょうか、と心配になってしまうのは私だけかしら? 最初にニュースを聞いたのは、大相撲の同時放送を見ている時だったが、「お静かにお見守りください」という宮内庁の言葉を伝えていながら、かなり長い時間をさいて、お2人の生い立ちから紹介しているので、「ぜんぜん静かぢゃなーい」と思ってしまった。NHKであれだから、きっと民放のワイドショーや女性週刊誌はすごいんだろうな。おめでたいことだから仕方ないのかな、やっぱり。
ともあれ、お元気な赤ちゃんのご誕生をお祈りしております。

★‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥★