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30歳からの海外留学
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01/04/25
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01/04/18
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01/03/21
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01/03/14
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01/02/28
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01/01/17
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01/01/10
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00/12/13
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●訃報
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00/12/06
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●父のその後

00/11/29
●大どーんでーん返し!?

00/11/22
●いよいよ決断

00/11/08
●父の経過

00/11/01
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00/10/25
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00/10/18
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00/10/11
●30過ぎて一度断念

00/10/04
●私が20代だった頃 ●30代でこそ行くべき!





●大どーんでーん返し!?

両親に計画を打ち明けた後、私は大手を振って留学の準備を始めた。
といっても、もう出発予定日まで2カ月もなく、最後の資金作りとばかりに仕事もたくさん入れていたので、実際はバタバタだった。
そのうえ、仕事関係の方への挨拶まわりがあり、元同僚や友人らが開いてくれる送別会が3日に1度はあったので、ダイアリーには毎日予定がぎっしり。その間をぬって準備を進めている状態だった。

時間のゆとりがあったら、自分で学校への申し込みやホームステイの手配も全部したかったのだが、とても無理だった。
そこで、バンクーバーでお世話になっている旅行会社の東京オフィスに、留学部門ができたばかりだったので、すべてお願いすることにした。航空券手配からESL入学手続き、ホームステイ紹介まで全部やっていただいたうえに、原価+経費(実費)だけでいいとのこと。なるべくお金をセーブしたい時だったので、これは大変ありがたかった。それに、担当者が実際にバンクーバーに住んでいた方だったので、現地の生活やESLについていろいろ伺えて、多いに参考になった。

すべての手配をお願いしてしまったら、多くのことが“やる事リスト”から消えて、だいぶラクになった。
でも、やはり、時間があるなら、自分の手で一つ一つやって行くほうが、手応えもあるし実感もわくと思う。私の場合は、ほぼ原価でお願いできたが、中には法外な金を要求する斡旋業者もあると聞く。
今はインターネットで簡単に海外の学校ともコンタクトできる時代。また、現地情報を伝えるホームページも、法人・個人を問わずたくさんできている。まず自分でメールを出してみると、案外簡単に道は開けていくのではないかと思う。

それにしても、世の中、本当に便利になったもんだ。私の留学だって、そんなに昔のことじゃない、わずか数年前のことだが、インターネットの急速な普及と、それがもたらす生活の変化を見ていると、隔世の感がある。

仕事を一つずつやり終え、ダイアリーの予定を一つ一つこなし、だんだん出発する日が近づいてきた。片道の航空券を手にした時は、いよいよだなーと思った。旅費がもったいないので、2年間は帰らないつもりだった。
あとは荷造りだけだ(これが大問題)。

経過を報告するために、久しぶりにHさんに電話をかけた。父の入院以来、ほとんど連絡していない状態だった。彼女はいつ頃アメリカに行くのかも知りたかった。向こうでどんなふうに再会できるか、それも楽しみだった。

ところが受話器の向こうから思いもかけない言葉が・・・
「オカムラさん、私、結婚することにしたの」

うっっっっっそおぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!

なんで? いつ?? どこでどうしてそうなったの???
最後に話したのは4〜5カ月前だったけど、そんなこと全然言ってなかったよー。彼がいるとも言ってなかったし。

聞きたいことが山ほどあって、電話じゃ埒があかなかったので、会うことにした。

Hさんの話はこうだった。
昨年末に友達からその彼を紹介された。年は彼女より4つくらい上。ゴツい外見だけど、感じのよい人だった。お互いに何となく合うものを感じたらしい。
何回か会った後、結婚を前提におつきあいを、という話に発展した。しかし、Hさんはアメリカ留学のことをまだ考えていたので、即答はできなかった。
しばらく悩んで、周りの人に相談したりしていたが、ある後輩の言葉が決め手になったという。
その言葉とは・・・
「男は逃げるかもしれませんが、アメリカは逃げませんよ」
つまり、相性がいいと思う男性は、今つかまえておかないといなくなってしまうかもしれないが、アメリカはいつでもそこにあるのだから、どうしても留学したかったら、また後になってもできますよ、ということだったらしい。

いやはや、予想だにしていない展開だった。
こういうことって映画やTVドラマではよくあるけど、現実に身の周りに起こるとは思ってもみなかった。

私だったら、どうするだろう? 
もう心がカナダにしか向いていない今は、そういう男性が現われてもきっと目に入らないだろう、というのが正直な思いだった。
しかし、それだけに、彼女の数年来のアメリカへの思いを断ち切らせるほどの男性との出会いは、運命的であり、きっと人間的に魅力ある素敵な人なんだろうなぁと容易に想像できた。
その日は、彼女の結婚祝いと、私の留学祝いと、送別の酒になった。

そして私はカナダに向けて旅だった。

落ち着いた頃、Hさんに手紙を書いた。
「私は、自分がグライダーで、Hさんが誘導してくれる飛行機だったような気がしています。グライダーはエンジンがないから、自力では飛べません。Hさんという飛行機に引っぱってもらって、風に乗れるところまで連れて行ってもらい、自分で飛行できるようになった時に、Hさんは飛行場に戻って行った…。
誘導してくれる飛行機なくしては、私はカナダに来られませんでした。」

その後いただいた返事によると、彼女はお母さんになった。
今は家事と子育てで、忙しくも幸せな結婚生活をおくっているらしい。